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(旧)労災被災者交流会

会員の声

 

<TABLE border="0"><TBODY><TR><TD align="center"><FONT color="#33cc00"><B><FONT size="+2" color="#009900">一人親方、事業主特別加入労災認定を勝ち取る</FONT></B></FONT><BR>
<FONT color="#5555ff">金田正昭(ひまわりの会・労災被災者交流会 元会長)</FONT><BR>
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</TD></TR><TR><TD height="107" width="680">
<DIV align="left">私は35年間一人親方として、労災保険をかけておりました。<BR>
もともと私は大型・小型トレーラーの運転手でした。それが私の生活の基盤でした。<BR>
忘れもしません。平成18年9月17日、仕事中に車の荷台から転落し、負傷してしまいました。会社に負傷したことを話して、労災の申請手続きをお願いしました。会社の言いますには、自分でやってくれということでした。会社は労災というと嫌います。<BR>
 仕事の関係でよく浜に荷物を運んでいましたので、全港湾(労働組合)を知っておりました。それで、労組の委員長に助けを求めました。委員長は、私の話を聞き終わり、田島診療所を紹介してもらい、田島先生(初代所長、故人)に診断書を書いていただき、あの難しい労災認定を勝ち取ることができました。<BR>
 皆さん、労災を一人で勝ち取ることは難しいです。皆さん、田島診療所には困っている人にやさしい手をさしのべてくれる先生、職員が多くいます。<BR>
ただ労災だけではありません。何の病気でも診てくれる先生が多くいます。<BR>
田島診療所は小さくても中身のある診療所です。困っている人は一日も早く電話してください。<BR>
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<DIV align="left"></DIV>
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</TD></TR><TR><TD align="center"><img src="file:///C:/Users/USER/OneDrive/Homepage-Himawari/himawari/ps/00258.jpg" width="480" height="360" border="0"><BR>
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ひまわりの会・労災被災者交流会恒例の花見<BR>
(2012.4.7) 田島診療所近くの高瀬公園にて<BR>
</TD></TR></TBODY></TABLE>

 

<TABLE border="0" width="700" bgcolor="#ffffff" cellpadding="30"><TBODY><TR><TD align="center" width="727"><DIV align="center">
<FONT color="#5555ff">ひまわりの会・労災被災者交流会 但馬 千穂</FONT><BR>
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<DIV align="left"> 私は、30年間、三洋電機の工場で働いています。<BR>
 1999年に右肘が痛くなり、2年半休職しました。当時は、治るかどうか分からなかったし、もし治らなければ仕事もできないし、収入もなくなればどうしたらいいのかと不安でした。会社や組合に労災にしてほしいと言ったけど、ダメだと言われました。<BR>
 インターネットで探した<FONT color="#5555ff">労働センター</FONT>の東京本部に電子メールを送って、そちらの方に<FONT color="#5555ff">関西労働センターの片岡さん</FONT>を紹介してもらいました。片岡さんの勧めで、病院も<FONT color="#5555ff">田島診療所に転院</FONT>しました。<FONT color="#5555ff">被災者の会</FONT>に入り、会の皆さんのご協力のもと、<FONT color="#5555ff">労災を申請</FONT>することができました。認定されるかどうかは、50%ぐらいという厳しい状況のなかで、再三、<FONT color="#5555ff">労基署交渉</FONT>を行いました。その過程で、管轄外の健康保険の関係にまで口出しするという労基署の越権行為に対し、抗議して撤回させ、<U>2004年に<FONT color="#5555ff">労災認定</FONT>を勝ち取りました</U>。<BR>
 <U>認定後</U>、<U><FONT color="#5555ff">社内健康保険組合</FONT>へ<FONT color="#5555ff">差額の精算返納</FONT>を申し入れ</U>ましたが、1年半経過しても、理由もなく、<U>未だに精算処理をしようとしていません</U>。会社、担当者の責任意識の希薄さの現れです。会社は経営状況も厳しく、現在、社員給与の5パーセントがカットされていますが、それは来年まで続く予定です。<U>従業員に信頼される、身分保証、適切な業務処理を切望しております</U>。<BR>
 今後も、<FONT color="#5555ff">交流会</FONT>の皆さんと、力をあわせて頑張っていきたいと思います。</DIV>
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</TD>
</TR>
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</TABLE>
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<TABLE border="0" width="700" bgcolor="#ffffff" cellpadding="30">
<TBODY>
<TR>
<TD align="center" width="727">
<DIV align="center"><img src="file:///C:/Users/USER/OneDrive/Homepage-Himawari/himawari/ps/rousaijikologo.gif" width="475" height="38" border="0" alt="「一人では何もできない」 ―支援に支えられて―
"><BR>
<FONT color="#5555ff">ひまわりの会・労災被災者交流会 登野 一哉</FONT><BR>
<BR>
<DIV align="left"> 私は、<FONT color="#5555ff">大型トラックの運転手</FONT>でした。2006年3月6日、大阪から名古屋まで貨物を運送中、<FONT color="#5555ff">追突事故により負傷</FONT>しました。会社から適切な労災手続きをしてもらえず、連絡もなく、傷の痛みは増加する一方で、近くの病院で受診し、相談しましたが、訴えを聞き入れてもらえず、その後、<FONT color="#5555ff">会社より一方的に解雇通知</FONT>。内容は、退職金、予告手当、事故当日の賃金までカットするというものでした。<BR>
 もう精神的に落ち込み、妻子をこれからどう養っていったらいいのか、途方に暮れていました。自分では<FONT color="#5555ff">労災申請手続き</FONT>のやり方も分からず、会社の通告内容、労災関係について全港湾労働組合の先輩に相談し、<FONT color="#5555ff">田島診療所</FONT>を紹介されました。<BR>
 田島先生の診察を受け、通院治療ができるようになり、事故による負傷の診断書をいただき、会社へ提出しましたが、<U>会社は労災と認めず</U>、全港湾労組より会社と交渉していただき、長い不安の毎日でしたが、組織の支援でやっと<FONT color="#5555ff">労災認定</FONT>をしていただくことができました。<BR>
 田島先生より、<FONT color="#5555ff">ひまわりの会労災被災者交流会</FONT>を紹介され、会員加入し、運動に参加し、治療に専念するなか、突然、思いもよらぬ田島先生の訃報が届きました。その悲しみ、不安も癒えぬ間に、<FONT color="#5555ff">労基署</FONT>より電話で傷病症状無視の<U>労災打ち切り通告</U>を受けました。<BR>
 <FONT color="#5555ff">労災被災者交流会</FONT>より、柴田先生が診断所見、療養内容の回答を労基署に提出してくださっていることを確認、厳しい抗議交渉をしていただき、<FONT color="#5555ff">労災打ち切りを撤回</FONT>させることができました。<BR>
 一人では何もできなかったであろうことも、<FONT color="#5555ff">全港湾</FONT>の先輩、<FONT color="#5555ff">診療所</FONT>の田島先生や柴田先生、<FONT color="#5555ff">交流会</FONT>の方々から助けてもらいました。<FONT color="#5555ff">田島診療所</FONT>に来て、いろいろな人と触れあい、会話をし、看護師さんをスベッタ冗談で笑わし、これからもよろしくお願いします。</DIV>
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</TD></TR></TBODY></TABLE></CENTER>

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